漢文で會話ができるLINEスタンプ『漢文と女の子』を作つたので紹介してみる

どうも、萬朶櫻(@wanduoying)、190朶目の記事です。

 

おそらくLINEを使つてない日本人は居ないでせう。

また多くの人はタイムラインでスタンプを使ふかと思ひます。

 

そこで僕もオリジナルのスタンプを作つてみました。

その名も『漢文と女の子

自作スタンプ「漢文と女の子」

LINEのストアでの表示。全部で40種類あります。

 

見ての通り、漢文で會話ができるスタンプです。

 

さあ、一緒にタイムラインを漢字まみれにしようぜ!

 

 

目次

漢文とイラストを融合したLINEスタンプ『漢文と女の子』

「タイムラインで漢文を使つてみたい」

漢文といへば、東洋に於ける究極の素養と言はれてゐます。

しかし現代では顧みられることは無くなつてしまひました。

 

日頃から漢文で日記を書いたりしてゐるほど漢文に親しんでゐる私としては、みんなもつと漢文にれてみればいいのに、と思つたわけです。

そこで、日常でも使へさうな漢文句を、自分の得意分野でもあるイラストと合體がつたいさせてLINEスタンプにしました。

日本語の表示もあるので意思疏通が妨げられることはありません。

 

イラストのキャラについて

このキャラクターは、僕が何年か前に作つたオリジナルの娘です。

このブログのヘツダーとかにも描かれてゐますね。

名前は特にありません。

 

イラスト描く人向けの話。

僕は2~3頭身のチビキャラをあまり描かないのですが、偶然そのとき知り合ひからもらつた本が役に立ちました。

 

▼それがこの本です。

スーパーデフォルメポーズ集 チビキャラ篇SDキャラ描きたい人に贈る「スーパーデフォルメポーズ集 チビキャラ篇」

いくつかのスタンプでは、このポーズを基にしてゐます。

關聯記事:萬朶櫻が今までイラストを描くときに參考にした書籍

 

じつさいの使用感

友人とのタイムラインから。こんな感じです。

僕はタイムラインの背景にイラストを設定してゐますが、文字がハツキリしてゐて見やすいですね。

寫眞しやしんでも同じやうに見やすいと思ひます。

 

利用者の感想など

 

作つたスタンプと漢文句のまとめ

日本語やイラストを添へてゐるといつても、その漢文句がどういふ語感を表してゐるのかは分かりづらいと思ひます。

なので收録しうろくしてゐる全ての句について、説明していきます。

また全ての漢文句には出典があります(一部改變かいへんあり)。なのでその出典も一緒に紹介してみます。

注意

飜譯ほんやくなどは私の伎倆ぎりやう不足のせゐで不正確かもしれません。

漢文句は簡潔であるがゆゑに、二つ以上の意味を持つものも少なくありません。全く同じ句でも使ふ場面や文脈によつて意味合ひが異なることも多々あります。

 

可也 ――いいね!

「よい」「よろしい」など、何かしら肯定したい時に使ひませう。

この「可也」は多くの場面で用ゐられる句です。

 

たとへばこんな時。出典は『論語・雍也第六』より。

子曰:「雍也,可使南面。」

仲弓問子桑伯子。

子曰:「可也,簡。」

仲弓曰:「居敬而行簡,以臨其民,不亦可乎?居簡而行簡,無乃大簡乎?」

子曰:「雍之言然。」


孔子は言つた「雍といふ者は、諸侯の政治をさせることができる」

仲弓は子桑伯子について問うた

孔子は言つた「まあよい、(彼は)大らかな性格だからな」

仲弓は言つた「(彼自身の)日常生活は慎み深く、行ひは大らか、それでその民を治めるなら、なんと宜しいことでせうか。(彼自身の)日常生活が大らかで、行ひも大らかなら、おそらく非常に大雜把なだけでありませうか」

孔子は言つた「雍の言つた事はその通りだ」

『論語・雍也第六』

文法的な解説

「可也」は同じ句でも分脈によつて少しづつ異なつた意味にもなります。

畫像のやうにポジティブな感じでいふこともあれば、「(必ずしも良いとは言へんけど、大して惡くもないから)まあ、いいか」といふ消極的な肯定で使はれることもあります。

不可 ――アカン

何か良くない、承諾できないなど、否定したい氣持ちになつた時に使ひませう。

たとへばこんな時。出典は『孟子・梁惠王章句上』より、有名な「五十歩百歩」の元ネタの文です。

孟子對曰:“王好戰,請以戰喻。填然鼓之,兵刃既接,棄甲曳兵而走,或百步而後止,或五十步而後止。以五十步笑百步,則何如?”

曰:“不可,直不百步耳,是亦走也。”


孟子は答へて言ふ「王は戰を好まれるので、戰に喩へて申し上げよう。ドンドンと太鼓を鳴らし、兵隊の刀が完全に接する距離になつた時、兜を棄て、兵器を引きずつて走り逃げたとする。ある兵士は百歩逃げてのち止まり、またある兵士は五十歩逃げてのち止まつた。自分の逃げた距離が五十歩だつたのを理由に百歩の兵士を笑ふのは、どうでせう?」

粱惠王は言つた「よくない。ただ百歩ではなかつただけで、彼もまた逃げてゐるのだから」

『孟子・梁惠王章句上』

畫像のやうに「不可」と單獨で用ゐることもありますが、漢文においては多くの場合「不可~」のやうに動詞を否定する意味合ひで使はれます。

漢興,天子之政行於郡,不行於國;制其守宰,不制其侯王。侯王雖亂,不可變也;國人雖病,不可除也。


漢が興り、天子の政治が郡に行き渡るも、國には行き渡らなかつた。(天子の政治は)その役人などを掌握しても、その諸侯や君子自身には及ばないからだ。諸侯や君子が亂れても、(亂れた君子の政治を)變へることはできない。國の人民が憂へても、それを除くことはできない

柳宗元『封建論』

もつとも、スタンプだと他の動詞に複合させるのは難しさうですが。

未可也 ――まだアカン

「まだ十分でない」「もうすこし待つてほしい」など、あともう少しな時に使ひませう。

たとへばこんな時。出典は『孟子・梁惠王章句下』より。

曰:「國君進賢,如不得已,將使卑逾尊,疏逾戚,可不慎與!左右皆曰賢,未可也;諸大夫皆曰賢,未可也;國人皆曰賢,然後察之。見賢焉,然後用之。


孟子は言つた「國の主が優れた人物を推薦するに當たつては、『やむをえず』といつたやうな氣持である。まさに下位の者を上位に置き、親しくない者を近臣のより近くに置くなら、愼重にならないことができようか。左右の家臣が皆言ふ「彼は賢者だ」と、しかしまだ十分でない。大夫たちが言ふ「彼は賢者だ」と、しかしまだ十分でない。國の者すべてが言ふ「彼は賢者だ」と、さうして初めて彼が賢者だとわかる。君子が賢者だと見分けてのち、これを採用するのだ。

『孟子・梁惠王章句下』

何也 ――なんで?

「どうして?」「どういふこと?」など、イエスかノーかで答へられない疑問を發したい時に使ひませう。

たとへばこんな時。出典は『孟子・梁惠王章句上』より。

梁惠王曰:“寡人之於國也,盡心焉耳矣。河內凶,則移其民於河東,移其粟於河內。河東凶亦然。察鄰國之政,無如寡人之用心者。鄰國之民不加少,寡人之民不加多,何也?”


粱惠王は言つた「私の國家統治においては、ただ眞心を盡くしてゐるだけであります。河内地域で凶作があれば、人民を東に移させ、その粟を河内に移させます。もしその東側で何かあつてもまた同じです。隣國の政治状況を見るに、私の心がけに勝る君子は見當たらないでせう。それなのに隣國の民はますます減らず、私の國はますます増えないのは、なぜですか?

『孟子・梁惠王章句上』

文法的な解説

「何也」には、樣々な意味があります。

畫像では「なぜ?」「どうして?」の意味にしてゐますが、他にも「(それは)何ですか?」とか「(怒りの感情を込めて)そんなことをするなんて、どういふことだ!?」などの意味があります。

以爲然 ――せやな

「その通りだ」「さうですね」など、とりあへず緩いカンジの同意を表したい時に使ひませう。

たとへばこんな時。出典は『戰國策・楚一』より。有名な「虎の威を借る狐」の文章です。

虎求百獸而食之,得狐。

狐曰:「子無敢食我也。天帝使我長百獸,今子食我,是逆天帝命也。子以我為不信,吾為子先行,子隨我後,觀百獸之見我而敢不走乎?」

以為然


虎は百獸を求めてこれを食らふに、狐を捕まへ得た。

狐がいつた「あなたは私を決して食べない方がよい。天の神が私を百獸の長たらしめたのだから。もし貴方が私を食べれば、これは天の神の意思に逆らふことである。貴方が私のことを信用しないと思ふなら、私が貴方の爲に先行し、貴方が私の後ろを付いてきて、その樣子を觀てほしい。全ての獸が私を見て、どうして走り逃げないことがあらうか」

虎は「もつともな事だ」と思つた

『戰國策・楚一』

文法的な解説

「以爲A」もしくは「以B爲C」の構文は、漢文では見かけない日が無いほど頻出です。漢文を讀み書きするなら、必ず覺えておきませう。

「以爲A」は、「以B爲C」のBが省略された形と見なすことができ、意味は「BのことをCと思ふ」とか「BをCと見なす」といつたところです。聖徳太子の「以和爲貴(調和することを大事だと思ふ)」などはその典型です。

上の『戰國策』の例だと、「虎以爲然」は、「虎以狐之言爲然」の省略形で、「虎は狐の言葉を『その通りだ』と思つた」といふ意味になるわけです。

此之謂也 ――そゆこと

「これはまさしくさう云ふことです」「そのやうな意味合ひで大丈夫です」など、ある言葉の意味合ひなどが、別の言葉の意味合ひと同じである場合に使ひませう。

たとへばこんな時。『孟子・公孫丑章句上』より。有名な「王道・霸道」の話からです。

孟子曰:“以力假仁者霸,霸必有大國。以德行仁者王,王不待大。湯以七十里,文王以百里。以力服人者,非心服也,力不贍也。以德服人者,中心悅而誠服也,如七十子之服孔子也。《詩》云:‘自西自東,自南自北,無思不服。”此之謂也


孟子は言つた「力を以て仁を利用するのは霸道であり、霸道には必ず大國を伴ふ。徳を以て仁を行ふ者は王道であり、王道は大國であることに依存しない。湯王は七十里の土地で、文王は百里でそれぞれ活躍した。力で人を服従させることは、心の底からの服従ではない。力が(人の心を屈服させるのに)不十分だからである。徳で人を服従させれば、心から喜んで從つてくれるのだ。まるで七十人もの弟子が孔子を慕つたやうにだ。《詩經》にもこのやうにある『西より東より、喜びて從はざる者なし』と。詩經のこの記述は、かういふことなのだ。

『孟子・公孫丑章句上』

文法的な解説

「此之謂也」は「此 / 之謂 / 也」と分けることができます。

「謂」は、ここでは「意味合ひ」といふ意味で。「之」は、「これ」といつた意味で使はれがちですが、ここでは「この・このやうな」と認識した方がよろしいと思ひます。つまり「之謂」は「このやうな意味」です。「此」は「これ」。「也」はただの文末助辭で「~です」。

「これ(詩經にあるこの一節の言葉は)このやうな(力ではなく、徳で人を服従させよといふ)意味です」といふ意味になります。

 

スタンプでは意譯して「そゆこと」とし、「あなた(もしくは他の誰か)が言つた言葉はそのやうな(私、もしくは他の誰かが認識してゐるのと同じやうな)意味合ひで大丈夫です」といふ場面で使はれることを想定しました。

否、非若是也 ――いや、違ふ違ふ

「さういふ意味ではない」「違ひます」など、自分の認識と相手の認識との間に相違があると思はれる時に使ひませう。

たとへばこんな時。『戰國策・楚一』より。

秦王謂唐且曰:「寡人以五百里之地易安陵,安陵君不聽寡人,(中略)今吾以十倍之地,請廣於君,而君逆寡人者,輕寡人與?」

唐且對曰:「否,非若是也。安陵君受地於先生而守之,雖千里不敢易也,豈直五百里哉?」


秦王が唐且(安陵の使者)に話しかけて言ふ「私は五百里の地を安陵の地と交換しようとしたが、安陵の主は私の提案に從はなかつた、(中略)もし私がその十倍の土地で貴國に提案したなら、貴公らのやうな頑固者でも私を無視できないのではないか。」

唐且の返答「いいえ、そのやうな話ではありません。安陵の王は祖先から土地を受け繼いで、それを守つてゐるのです。千里でも交換することはできません、わづか五百里の土地で私達を動かせるとでも?」

『戰國策・楚一』

文法的な解説

この句で理解すべきは「若是」でせう。

「若」は「わかい」と讀みたくなりますが、これは日本獨自の訓です。漢文で「わかい」を表すときは「少」などを使ひます。

ここでは「若」は「ごとし、ごとき」といふ意味です。「是」は「これ、この」。つまり「若是」は、「このやうな」といふ意味になります。

句を通して讀むと「否、非若是也」は「いいえ、このやうな(こと)ではないのです」となります。

惑矣 ――意味不明

「ちよつと何言つてるのか理解できない」「これはどう云ふことだ?」など、相手の言つた言葉が、自分の價値觀や認識とは合容れないと思つた時に使ひませう。

たとへばこんな時。『韓愈・師説』より。

愛其子、擇師而教之。於其身也、則恥師焉、惑矣


自分の子供を愛するゆゑに、(その子供の爲に)師を選んで教育する。しかし自分自身の事になると、人に師事して勉強することを恥ぢてしまふといふのは、わけがわからない

『韓愈・師説』

なほ、「ただ(自分の知識不足のために)相手の言葉の意味が理解できなかつた場合」「專門外のことを言はれて戸惑つた時」にも使へます。

不亦樂乎 ――たのしい!

「たのしい」「わーい」など、とりあへず何か樂しい感じの時に使ひませう。

たとへばこんな時。『論語・學而』より。

子曰:「學而時習之,不亦說乎?」「有朋自遠方來,不亦樂乎?」


孔子は言つた「勉強して時々に復習するのは、なんと喜ばしいことではないか。」「遠方から友達が來てくれることがある、なんと樂しいことではないか。」

『論語・學而』

文法的な解説

「不亦A乎?」の構文は、漢文ではよく見かけます。

意味は「なんとAではないか!」。やや感情を込めて感想を述べる感じです。

孔子の發言をよく見ると、直前に「不亦說乎?(なんと喜ばしいことではないか)」といつてますね。

他にも「不亦宜乎(なんとよろしいことではないか)」といふ文も見かけたことがあります。

可於口 ――おいしい!

「おいしい」「うまい」など、口にした食べ物や飮み物が、自分の口に合つた時に使ひませう。

たとへばこんな時。『莊子・天運』より。

且子獨不見夫桔槔者乎?引之則俯,舍之則仰。彼,人之所引,非引人也,故俯仰而不得罪於人。故夫三皇、五帝之禮義法度,不矜於同而矜於治。故譬三皇、五帝之禮義法度,其猶柤梨橘柚邪!其味相反,而皆可於口


ところで貴方はハネツルベ(井戸の水汲み裝置)を知らないわけは無いですよね?人はこれを引き下げては俯き、手を放しては仰ぐ。この装置は人に引かれるものであり、人を引つぱるものではない。ゆゑに裝置が上下して人を罰することはない。さて三皇五帝の禮儀法度は、統一を重視せず、安定を重視する。ゆゑに三皇五帝の禮儀法度を喩へるなら、まるで梨や柚子のやうである。その味は正反對だが、ふたつとも口に合ふ

『莊子・天運』

孰吉 ――どれが良い?

「どちらがいい?」「どうする?」など、自分では決められない問題を相手にパスしたい時に使ひませう。

たとへばこんな時。『史記・平原君虞卿列傳第十六』より。

趙王計未定,樓緩從秦來,趙王與樓緩計之,曰:「予秦地如毋予,孰吉?」

緩辭讓曰:「此非臣之所能知也。」


趙王の計略は未だ定まらず、樓緩といふ人物が秦から來た。趙王は樓緩と相談して、言つた「秦に土地を與へるのと與へないのと、どちらがよいだらう

緩辭は遠慮して言つた「これは私の理解できる問題ではありません」

『史記・平原君虞卿列傳第十六』

文法的な解説

「孰」は「だれ」「どちら」と云ふ意味で、「吉」は「優れてゐる」「縁起がよい」といふ意味です。

つまり「孰吉」は「どちらがよい選擇だらう」といふ意味になります。

ちなみに「予」は、ここでは「與へる」といふ意味です。なので「豫」と書いてはいけません。

請擇於斯 ――選んで!

「どちらがいい?」「お選びください」など、相手に對していくつの選擇肢から1つを選んでほしい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・公孫丑章句下』より。

滕文公問曰:「滕,小國也,竭力以事大國,則不得免焉,如之何則可?」

孟子對曰:「昔者大王居邠,狄人侵之。事之以皮幣,不得免焉;事之以犬馬,不得免焉;事之以珠玉,不得免焉。

乃屬其耆老而告之曰:『狄人之所欲者,吾土地也。吾聞之也。君子不以其所以養人者害人,二三子何患乎無君,我將去之。去邠,逾梁山,邑於岐山之下居焉。』

邠人曰:『仁人也,不可失也。』從之者如歸市。

或曰:『世守也,非身之所能為也。效死勿去。』君請擇於斯二者,」


勝文公は孟子に問うて言つた「私の所は小國です。力を盡くして大國に從つても、結局彼らからは逃れられない。どうすればよいのだらう?」

孟子は答へて言つた「昔、邠州といふ所に大王がゐて、異民族が侵入してきた。彼らにへりくだつて物品を贈つも、彼らの脅威からは逃れられない。彼らにへりくだつて犬や馬を贈つても、彼らの脅威からは逃れられない。彼らにへりくだつて金品を贈つても、彼らの脅威からは逃れられない。

そして長老たちを集めて、彼らに告げて言つた『異民族たちが欲しがつてゐるのは、我々の土地である。私の聞くところによると、君子は人民を養ふ土地のために人々を害したりしない。そなたたちはどうして主君が居ないことをなげくだらうか、私はここを去らうと思ふ。邠州を去つて、梁山を超えて、岐山の麓に都を建てて居を構へようか?』

邠州の人は言つた『王は素晴らしい。彼を手放してはならない。』と、王に從ふ者は新しい都に歸順した。

だがある人は言つた『代々の守るべき土地で、私自身にはどうにもできない(手放せない)。死んでもここを離れてはならない。』と。閣下はこの二つの選擇肢から選んでいただきたい。」

『孟子・公孫丑章句下』

文法的な解説

「請~」は「~をお願ひする」「~をたのむ」といふ意味。現代中國語にもあります。

「斯」は「これ」「この」といふ意味。「此」「是」とほぼ同じです。

 

原文では「請擇於斯二者」と、少し長い文です。

これだと「この2つから選んでほしい」といふ意味になり、選擇肢が2つの時にしか使へないスタンプになつてしまひます。

ゆゑに「請擇於斯」と、選擇肢の數をボカしました。

何如 ――どうかな?

「どうですか?」「どうなりますか?」など、相手に状況や結果を訊ねたい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『韓非子・難一』より。有名な「矛盾」の文です。

楚人有鬻楯與矛者,譽之曰︰『吾楯之堅,物莫能陷也。』又譽其矛曰︰『吾矛之利,於物無不陷也。』

或曰︰『以子之矛陷子之楯,何如?』其人弗能應也。


楚の人で矛と盾を賣るものがゐて、これを自慢して言つた「私の盾の堅きことよ、いかなるものも突き破れないだらう」またその矛を自慢して言つた「私の矛の鋭きことよ、いかなるものも貫けないものは無いだらう」と

ある人は言つた「貴方の矛で貴方の盾を突いたら、どうなるのだ?」と。その人は答へることができなかつた。

『韓非子・難一』

文法的な解説

「何如」は、状況や結果を問ふ言葉です。

似たやうな言葉に「如何」があります。こちらは「どのやうにしようか?」「どうすればよいか?」と、方法を問ふ疑問語で、意味が微妙に違ひます。

「何若」といふ語もありますが、意味は「何如」同じです。

行諸、已乎 ――やる?やめとく?

「やるべきか否か」「やつた方がいいのかどうか分からん」など、それをやるべきかどうか分からないので、他人に判斷を委ねたい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・梁惠王章句下』より。

齊宣王問曰:「人皆謂我毀明堂,毀諸已乎?」


齊宣王は孟子に問うて言つた「人民はみな私に對して明堂(執務のための御殿)を取り壞すやうに言つてくる。これを取り壞さうかそれとも止めようか。」

『孟子・梁惠王章句下』

文法的な解説

「諸」は「之乎」を省略した言葉で、つまり「毀之乎?已乎?」と書き換へることができます。

「乎」はただの疑問をあらはす字。「已」は「止」のこと。なので「これを~すべきか?それとも止めるべきか?」といふ意味になるわけです。

 

この句のみ、原文から文字を差し替へてゐます。

原文は「毀諸?已乎?」で、これだと「これを取り壞すべきかどうか」を問ふ時にしか使へないスタンプになつてしまひます。

なので「ゆく」「おこなふ」の意味を持つ「行」に差し替へました。

或者不可乎 ――もしかしてアカン?

「たぶんダメなのでは?」「もしかすると良くないのかも」など、よく分からんけど、なんかアカン氣がする時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・公孫丑章句下』より。

孟子將朝王,王使人來曰:「寡人如就見者也,有寒疾,不可以風,朝將視朝,不識可使寡人得見乎?」

對曰:「不幸而有疾,不能造朝。」

明日,出吊於東郭氏。公孫丑曰:「昔者辭以病,今日吊,或者不可乎?」


孟子は王に謁見しようとしたが、王の使者が來て言つた「私はまさに會ひにゆくつもりであるが、風邪氣味で、出掛けられない。貴方がこちらへ來ればきつと會へるが、私に會ひにくることはできるか?」

孟子は答へて言つた「不幸にして私も病氣で、王のところに行くことができません」と

明くる日、外出して東郭氏(齊國の有力者)の見舞ひに行く。弟子の公孫丑が言つた「昨日は王への謁見を拒むために病氣ですと言つた、なのに今日は弔問に行くといふのは、もしかするとよくないのではないか?」

『孟子・公孫丑章句下』

文法的な解説

「或者」は、「ことによると」「もしかすると」の意味。

「不可乎」は、これまでの解説を見れば明白です。

已矣哉 ――もうアカン!!!

「打つ手がない」「もはやこれまでだ」など、死ぬほどどうしやうもない時に使ひませう。

たとへばこんな時、『楚辭・離騷』より。

亂曰:已矣哉

國無人莫我知兮,又何懷乎故都?

既莫足與為美政兮,吾將從彭咸之所居。


最後に言はせてくれ。もはやこれまでだ

國に賢人は居らず誰も我を理解してはくれない、またどうして故郷を思はうか?

もはや善政を行ふに足るべき人は居らぬので、私は彭咸の所に行かうではないか。

『楚辭・離騷』

文法的な解説

他にも「已矣乎」と云ふ書き方もありますが、意味は同じです。

於我心有戚戚焉 ――感動した!

「グッときた」「感激」など、心の中に感動させられる氣持ちが起こつた時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・梁惠王章句上』より。

王說,曰:“《詩》云:‘他人有心,予忖度之。’夫子之謂也。夫我乃行之,反而求之,不得吾心。夫子言之,於我心有戚戚焉。此心之所以合於王者,何也?”


王は喜んで言つた「《詩經》によれば『他人の考へるところあり、我これを推測せん』とある。先生の仰つた通りですな。さて私がこれを實踐し、また反省して研究してみましたが、私自身の納得がえられませんでした。先生の仰ることを聽くに、私の心に感動させられる心地がしました。この(慈悲の)心が王者たるべき根據であるのは、なぜですか?」

『孟子・梁惠王章句上』

文法的な解説

7文字とかなり長い句ですが、理解するのは簡單です。

 

「於我心有戚戚焉」は、「於我心 / 有戚戚焉」と分解できます。また「有戚戚焉」は、「有 / 戚戚焉」と分解できます。

「於~」は「~において」「~のなかで」といふ意味。

 

「戚戚」は「心が動く」「感動」を表す言葉です。

「焉」は形容詞や副詞の後につける接尾語で、その状態を表すものです。「然」と似たやうなもので、「全然」「忽然」「突然」などの言葉を思ひ浮かべれば解りやすいでせう。

つまり「戚戚焉」は、「心が動く状態」を表します。

 

まとめると、「於我心有戚戚焉」は「私の中で、感動することがあつた」になり、つまり「感動した」と解釋することができるわけです。

何快於是 ――何が嬉しいねん

「そんなの嬉しくない」「なにがそんなに良いのか分からん」など、他人が良いと思つてゐる物事やを否定したい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・梁惠王章句上』より。

曰:“(中略)抑王興甲兵,危士臣,構怨於諸侯,然後快於心與?”

王曰:“否。吾何快於是?將以求吾所大欲也。”


孟子は言つた「(中略)それとも王は兵を動員し、家臣を危險に晒し、諸侯に怨みを懷かせ、そのやうなことをして心に快いと思はれるのだらうか?」

王は言つた「いや。私がどうしてそのやうなことを快いと思ふだらうか?(快く思はない) 私は自分の本當にやりたいことを求めようとしてゐるだのだ」

『孟子・梁惠王章句上』

文法的な解説

これは明確な反語です。「何」は「どうして~だらうか?(いや、そんなことはない)」といふ意味。

「是」は「これ」「このやうなこと」。具體的には直前の孟子の問ひかけ「それとも王は兵を動員し、家臣を危險に晒し、諸侯に怨みを懷かせる」のこと。

 

「何快於是」は、「私は『兵役で家臣を危險に晒し、諸侯からの怨みを買ふ』といふ行爲を快く思はない」と云ふ意味です。

タイムラインで「私は○○について快く思はない」と思つたらすかさずコレです。

敢問何謂 ――どゆこと?

「それつてどう云ふ意味?」「詳しい説明が欲しいんですけど」など、自分が理解できない事を相手に質問したい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孔叢子・論書』より。

子張問曰:「堯舜之世,一人不刑而天下治。何則?以教誠而愛深也。龍子以為教一而被以『五刑』,敢問何謂?」

孔子曰:「不然,五刑、所以佐教也。龍子未可謂能為《書》也。」


子張は問うて言つた「堯舜の時代、天子は罰せずして天下は安定してゐた。何故ならば、教育に眞心があり愛が深かつたからです。しかし龍子の時代において教育は專ら『五刑(五種類の刑罰)』が大事だと思はれてゐる。畏れながら質問を申し上げます、どういふことなのでせうか?

孔子は言つた「(龍子の方が)道理に合つてゐない。五刑とは教育を補助するためのものである。龍子については未だ《書經》の訓へを實踐できてゐると評することはできない。」

『孔叢子・論書』

文法的な解説

この言ひ囘しも、漢文ではよく見かけます。特に會話文で。

「敢~」は謙讓語の1種で、「畏れながら~させていただく」と云ふ意味で、わりと頻出。

「謂」は色んな意味がありますが、ここでは「意味」「わけ(理由)」といつた捉へ方で大丈夫です。

つまり「敢問何謂」は「畏れながら、(それが)どのやうな意味、理由なのかを質問申し上げます」と云ふ意味になります。

果然 ――やつぱりな

「思つた通りだ」「やはり」など、なんらかの出來事や結果が、自分の思惑通りである時に使ひませう。

たとへばこんな時、『列子・天瑞篇』より。

子貢聞之,不喻其意,還以告夫子。

夫子曰:「吾知其可與言,果然;然彼得之而不盡者也。」


子貢はこれ(林類老人の言葉)を聞いて、その意味を理解しなかつたので、また孔子に告げた。

孔子は言つた「私は(林類が)議論を共にできる人物であるのを理解した。思つた通りだ、しかし彼はこれの眞理を理解し得てゐるが完全には究明し盡くしてゐないものである。

『列子・天瑞篇』

文法的な解説

「果」そのものに「案の定」「本當に」といふ意味があります。

「~然」は強い意思や斷定の語氣を表すことばで、「~だ!」「~であらう!」を表す。

すなはち「果然」は「思つた通り」の意味になるわけです。

不爲也、非不能也 ――やればできる!

「」「」など、時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・梁惠王章句上』より。

曰:“挾太山以超北海,語人曰‘我不能’,是誠不能也。

爲長者折枝,語人曰‘我不能’,是不爲也,非不能也。(以下略)」


孟子は言つた「泰山を脇に抱へて渤海を飛び越えるとします。人に『私にはできないことです』と言ふでせう。これは本當にできない行爲です。

老人のために枝を折つてあげるとします。人に『私にはできないことです』と言つたとて、これは(やらうと思へばできるが)やらないだけで、できないと云ふわけではないでせう。(以下略)」

『孟子・梁惠王章句上』

文法的な解説

これは2つの句が合體したものです。

「爲」は「する」「行ふ」。「能」は「できる」「~する能力がある」と云ふ意味です。

ゆゑに「不爲也」は「行はない」「やらない」。「非不能也」は「できないのではない」と云ふ意味になるのです。

スタンプではかなり意譯して「やればできる!」としました。

非爾所及也 ――やめとけ!

「それは難しいことだぞ」「あなたのできる事ではない」など、相手が自分の力量を超えたことを行なはうとしてゐるのを止める時に使ひませう。

たとへばこんな時、『論語・公冶長』より。

子貢曰:“我不欲人之加諸我也,吾亦欲無加諸人。

子曰:“賜也,非爾所及也。”


子貢は言つた「自分は、人が自分に加へられて嫌な行爲は、私も人に加へないやうにしたいと思つてゐます」

孔子は言つた「賜(子貢)よ、それは貴方にできることではないのだ

『論語・公冶長』

文法的な解説

「爾」は「汝(なんぢ)」すなはち「あなた」。「及」は「(力量などが)十分に到達してゐる」。

「所~」は漢文特有の用法で、下に付く動詞を名詞化する働きがあります。「~すること」「~するところ」と譯します。

ゆゑに「非爾所及也」は「あなたの力量は、その仕事の難易度に追ひ付いてゐないぞ」「その仕事の難しさに、あなたの力量が追ひ付いてゐないぞ」と云ふ意味になります。

 

スタンプではかなり意譯して「やめとけ!」としました。

無傷也 ――きにすんな

「悲しまないでくれ」「痛み入ることではない」など、相手が傷心してゐるのを慰める時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・梁惠王章句上』より。「君子は庖廚を遠ざく」といふマイナーな故事です。

王笑曰:“是誠何心哉!我非愛其財而易之以羊也,宜乎百姓之謂我愛也。”

曰:“無傷也,是乃仁術也,見牛未見羊也。

君子之於禽獸也,見其生,不忍見其死;聞其聲,不忍食其肉:是以君子遠庖廚也。”


王は笑つて言つた「これは本當にどう云ふ氣持ちなのだらうかな。私は自分の資産を惜しまんがために生贄を(大きな牛から小さな)羊にしたのではない。當然のことよな、百姓が私のことを物惜しみしたと評價するのは」

孟子は言つた「悲しむことはない。これこそがつまり仁義の道である、(王が生け贄を牛から羊に交換させたのは)牛を見て未だ羊を見なかつたからである。

君子の生き物に對する心構へとしては、その生き物を見て、その(生け贄にされるために)死ぬことを不憫に思つて我慢できない。その聲を聞けば、その肉を食することが不憫に思つて我慢できない。と云ふことである。さういふわけで君子は厨房から遠ざかるのだ。」

『孟子・梁惠王章句上』

文法的な解説

「無」は、「~がない」といふ意味もありますが、「~しないでください」といふ、やんはりとした禁止の意味もあります。ここでは禁止の意味で捉へる方が自然です。

「傷」は、身體的な外傷の意味もありますが、「傷心」といふ言葉があるやうに、「痛み入る」「悲しむ」など精神的な痛みも表します。

ゆゑに「無傷也」は「悲しまないでください」と云ふ意味なのです。

悲哉 ――悲しいなあ!

「悲しい」「泣けるぜ」など、悲しい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『楚辭・九辯』より。

悲哉!秋之為氣也。

蕭瑟兮,草木搖落而變衰。

憭慄兮,若在遠行。

登山臨水兮,送將歸。


悲しいなあ!秋の氣配がするのは。

ざわざわと、草木が葉を搖り落とし、色は衰へてゆく。

寂しくて、まるで遙かなる旅路において、

山頂に水邊に、別れゆく人を見送るやうだ。

『楚辭・九辯』

文法的な解説

「悲」には「寂寥感による乾いた悲しさ」と「人間關係などによる濕つた悲しさ」がありますが、このスタンプはどちらの意味でも使へると思ひます。

存分に使ひませう。

何所爲 ――何やつてんの?

「なにをやつてゐるのだ」「貴方が行つてゐる行爲は何ですか?」など、相手が行つてゐる行爲について訊ねたい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『史記・孟嘗君列傳第十五』より。

孟嘗君問傳舍長曰:「客何所爲?」

答曰:「馮先生甚貧,猶有一劍耳,又蒯緱。彈其劍而歌曰『長鋏歸來乎,食無魚』。」


孟嘗君は傳舍長に問うて言つた「食客は何をしてゐるのだ?」

傳舍長は答へて言つた「馮先生はとても貧しく、ただ一本の劍を持つてゐるだけで、その劍もまた粗末なものです。その劍を彈いて歌つてをります『相棒(刀)よ、(故郷へ)歸らうぜ。食ふ魚も無えんだ』と」

『史記・孟嘗君列傳第十五』

文法的な解説

「所爲」は「その行つてゐる行爲」「その所作」のこと。

故に「何所爲」は「その行爲は何ですか?」「それは何の行爲ですか?」と云ふ意味。

スタンプではかなり意譯して「なにやつてんの?」としました。

請嘗試之 ――やりたい!

「とりあへずやらせて」「ちよつと試しに」など、やりたいと云ふ氣持ちを押さへきれない時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・梁惠王章句上』より。

王曰:“吾惛,不能進於是矣。願夫子輔吾誌,明以教我。我雖不敏,請嘗試之。”


王は言つた「不肖、そのやうな大それたことを實踐することは難しいと思ひます。どうか先生が私の志を助けて、私にその教へをハツキリとお示しいただきたい。この私、不器用ながらも、それを試してみることを願ひます」

『孟子・梁惠王章句上』

文法的な解説

「請」は相手に願ひ出ること。「嘗試」は「試しにやつてみること」。

故に「請嘗試之」は「私がこれを試しにやつてみることを貴方にお願ひします」と云ふ意味になります。

可得聞乎 ――聞かせて!

「細しく知りたい」「もつと聞きたい」など、相手から有益な情報を引き出したい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・梁惠王章句上』より。

曰:“王之所大欲,可得聞與?”


孟子は言つた「王の大いに欲する所について、聞くことはできますか?」

『孟子・梁惠王章句上』

文法的な解説

「可得」は「可」と同じです。

他にも「可得聞與」といふ書き方もありますが、意味は同じです。

スタンプの「可得聞也」は誤植です。

姑舎是 ――いつたん置いとこ

「この話題はいま扱ふべきでない」「このことは後でやらう」など、何かと後囘しにしたい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・公孫丑章句上』より。

昔者竊聞之:子夏、子遊、子張,皆有聖人之一體,冉牛、閔子、顏淵則具體而微。”“敢問所安?”

曰:“姑舍是。”


公孫丑「かつて私が聞いた話によると、子夏、子遊、子張はそれぞれ聖人の資質があつた。冉牛、閔子、顏淵は聖人の資質がわづかにあつた。彼らの位置付けについてお聞かせ願ひたい」

孟子は言つた「しばらくこの話題は捨て置け」

『孟子・公孫丑章句上』

文法的な解説

「姑」は「ひとまづ」「しばらく」で、「しうとめ」ではありません。

「舎」は「捨」のことで、「除外」「停止」「抛棄」の意味です。

ゆゑに「姑舎是」は「しばらくこの事を置いておけ」と云ふ意味になります。

今病力 ――今しんどい

「病氣がひどい」「病氣が惡化した」など、身體の不調があり、それが甚しくなつてゐる時に使ひませう。

たとへばこんな時、『漢書・張馮汲鄭傳』より。

黯泣曰:「臣自以為填溝壑,不復見陛下,不意陛下復收之。臣常有狗馬之心,今病,力不能任郡事。臣願為中郎,出入禁闥,補過拾遺,臣之願也。」


汲黯は泣いて言つた「私自身は大いなる恩惠を頂いてゐながら、二度と陛下にお會ひすることは無く、陛下が再びこの關係を元に戻すつもりはないと思つてをります。私には常に臣下としての心構へがありますが、今は病氣で、それが惡化して郡の執務に耐へることができません。私は中郎になつて、屋敷の門を取り締まり、人の誤りを正すこと、これが私の願ひです。」

『漢書・張馮汲鄭傳』

文法的な解説

「力」は、病氣の症状が重くなるといふ意味。

我病可耳 ――治つた!

「病氣が治つた」「完全復活!」など、時に使ひませう。

たとへばこんな時、『南史・王茂傳』より。

而茂少有驍名,帝又惜其用,曰:「將舉大事,便害健將,此非上策。」

乃令腹心鄭紹叔往候之。遇其臥,因問疾。

茂曰:「我病可耳。」

紹叔曰:「都下殺害日甚,使君家門塗炭,今欲起義,長史那猶臥。」

茂因擲枕起,即袴褶隨紹叔入見。


王茂は幼いころから武勇の評判があつて、帝はその才能に惚れ込んでをり、言つた「まさに大事が行はれようとしてゐるのに、優秀な將軍(茂曰)を(病氣によつて)殺してしまふ、これは上策ではない。」

そこで腹心である鄭紹叔に行かせた。その床で横になつてゐる王茂に會つて、そして症状について問うた。

王茂は言つた「私の病氣は治つたでせう

紹叔は言つた「都における殺戮は日に日に酷くなり、君の家族を苦しませてゐる。今まさに正義の蹶起を起こさうとしてゐるのに、役人どもはまるで寢そべるかのやうに吞氣なありさまだ」

王茂はそして床から立ち上がり、着替へて紹叔に付いていき、帝に會見した。

『南史・王茂傳』

文法的な解説

この句の理解は「可耳」の讀解に懸かつてゐます。

「可」は「可能」の意味ではなく「(病氣が)よくなる」の意味です。

「耳」は文末の助辭で、ここでは「~だらう」もしくは「」と譯せば大丈夫です。

故に「我病可耳」は「私の病氣は治つてゐるだらう」の意味になるのです。

皆是也 ――みんなやつてる

「みんなさうである」「みながこれに當てはまる」など、主語をデカくしたい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『韓愈・柳子厚墓誌銘』より。

落陷穽,不一引手救,反擠之,又下石焉者,皆是也


穴に落ちようとした時、手を少し引いて救ひ出すこともせず、逆に穴の方に押し落として、さらに石を投げつけることは、皆さうするものである

『韓愈・柳子厚墓誌銘』

此誰也 ――だれやねん

「どちらさま?」「これは何者だ」など、自分の知らない人がゐて、それが誰なのかを訊ねたい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『戰國策・齊四』より。

後孟嘗君出記,問門下諸客:「誰習計會,能為文收責於薛者乎?」

馮諼署曰:「能。」

孟嘗君怪之,曰:「此誰也?」

左右曰:「乃歌夫長鋏歸來者也。」


後に孟嘗君は記を持ち出して、門下諸客に問うた「この中で算法を習つてゐて、書状を作つて貸した金を薛人から取り立てることのできる者は居るか?」

馮諼署が言つた「できます」

孟嘗君は彼を怪しんで言つた「この者は誰なのだ?

左右の家臣が言つた「まさしくかの『相棒よ歸らうぜ』を歌つてゐた者です」

『戰國策・齊四』

當是時也 ――今の所はね

「その時は」「この時では」など、ある特定の時間を示したい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・梁惠王章句下』より。

王曰:「寡人有疾,寡人好色。」

對曰:「昔者太王好色,愛厥妃。《詩》云:『古公亶父,來朝走馬。率西水滸,至於岐下。爰及薑女,聿來胥宇。』當是時也,內無怨女,外無曠夫。王如好色,與百姓同之,於王何有?」


王は言つた「私には惡い癖があり、色を好むのです」

孟子は答へて言つた「かつての古公亶父は色を好んで、その后を愛してゐた。《詩經》の記述によると『古公亶父は、朝馬を駈る。西水の流れに沿つて、岐下に至る。そこで姜とともに家庭を營んだ』と。この時においては、家庭内に婚期を逃して恨む女は無く、外に獨身の男は居なかつた。王がもし色を好んでも、百姓の氣持ちにそつたものであれば、王としての治世に何の不足があるだらうか」

『孟子・梁惠王章句下』

文法的な解説

「是時」は直譯すれば「この時」。多く「當時」「そのとき」を表しますが、ここではスタンプとして使ひやすいと思つて「現在の時は」と解しておきました。

「當」は「まさに~べし(きつと~すべきなのだ)」といふ意味を表すことが多いですが、ここでは普通に「~において」として大丈夫です。

「也」は、多く文末の言ひ切りの助詞になりますが、「~~也、……。」「~~は、……だ。」と云ふ接續詞的な用法があります。

故に「當是時也」は「この時においては」と云ふ意味になります。

有一焉 ――1つだけある

「1つある」「1つだけだ」など、何かが1つある時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・梁惠王章句下』より。

滕文公問曰:「滕,小國也,間於齊楚,事齊乎?事楚乎?」

孟子對曰:「是謀非吾所能及也。無已,則有一焉,鑿斯池也,築斯城也,與民守之,死而民弗去,則是可為也。」


滕文公は問うて言つた「我が國は小國で、齊と楚に挾まれてゐる。齊に友好を示すべきだらうか?楚の友好を示すべきだらうか?」

孟子は答へて言つた「そのやうなこと(外交)は私のどうかうできる所ではないが、やむを得ないなら、方法が1つあるのだ。堀を深く掘り、城を建築し、人民とこれを死守するのです。死んでも民が去るやうな事が無ければ、存立することができるだらう」

『孟子・梁惠王章句下』

文法的な解説

「焉」は、ただの語氣助詞で、「~だ」「~ですな」の意味です。

莫我知 ――誰も分かつてくれん…

「理解者がゐない」「誰も味方してくれない」など、孤獨感が頂點に達した時に使ひませう。

たとへばこんな時、『楚辭・離騷』より。

亂曰:已矣哉,

國無人莫我知兮,又何懷乎故都?

既莫足與為美政兮,吾將從彭咸之所居。


最後に言はせてくれ。もはやこれまでだ、

國に賢人は居らず誰も我を理解してはくれない、またどうして故郷を思はうか?

もはや善政を行ふに足るべき人は居らぬので、私は彭咸の所に行かうではないか。

『楚辭・離騷』

文法的な解説

「莫」は「無」に近いと言はれがちな言葉なんですが、少し違ひます。

「莫」は無稱といつて「誰も~ない」「何も~ない」といふ意味です。

「我を知る」の意なのに「莫知我」ではなく「莫我知」になつてる問題。詳しい解説資料に出會へなかつたので推測ですが、恐らく單なる倒置だと思ひます。「莫」や「何」が絡む文はよく倒置するので…。

といふわけで「」は「(ここには)誰も私を理解してくれない」と云ふ意味になります。

非人所能也 ――どうにもならん

「私の力では無理だ」「」など、自分自身や普通の人間の能力では到底達成できない課題にぶつかつた時に使ひませう。

たとへばこんな時、『孟子・梁惠王章句下』より。

曰:「行或使之,止或尼之,行止非人所能也。吾之不遇魯侯,天也。(以下略)」


孟子は言つた「行くにも必ず行かせる何らかの流れがあり、留まるにも必ず留まらせる何らかの流れがある。進退は人のどうかうできる所ではない。私が魯侯と會ふことができなかつたのは、天の定めだつたのだ。(以下略)」

『孟子・梁惠王章句下』

文法的な解説

「所能」は「できること」。「人所能」は「人のできること」

すなはち「非人所能也」は「人のできる事ではない(天の神にしかできない)」と云ふ意味になります。

客何爲者 ――何者!?

「誰だ」「何者だ」など、正體が解らない相手に出くはした時に使ひませう。

たとへばこんな時、『史記・項羽本紀』より。

項王按劍而跽曰:「客何為者?」

張良曰:「沛公之參乘樊噲者也。」


項羽は劍を構へて膝まづいて言つた「貴樣は何者だ」

張良「沛公(劉邦)の、樊噲氏の護衞を務めてをる者です」

『史記・項羽本紀』

文法的な解説

「客」は相手に對する呼びかけのこと。

「何爲」は「何をする」「何をしてゐる」の意味。「者」がついて「何をする者」「何をしてゐる者」となり、「どのやうな者」「何者」となります。

不可不自謝 ――謝つて!

「貴方が謝つて」「謝るのが筋だ」など、相手に對して自主的な謝罪を求めたい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『史記・項羽本紀』より。

項伯許諾。謂沛公曰:「旦日不可不項王。」

沛公曰:「諾。」


項伯は許した。沛公に告げて言つた「他日、(あなたは)早朝に自ら來て項羽に謝罪しなければならない

沛公は言つた「はい。」

『史記・項羽本紀』

文法的な解説

「不可不~」は「~しなければならない」「~しないわけにはいかない」といふ意味です。

歸去來 ――歸ります

「さあ歸らう」「歸るで」など、どこかしらに歸りたい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『陶淵明・歸去來辭』より。

歸去來兮。田園將蕪、胡不歸。


さあ歸らうや。故郷の田畑はきつと荒れ果ててゐる、どうして歸らないで居られようか?

『陶淵明・歸去來辭』

文法的な解説

この「~去來」は動詞の後につく助辭で「~して行かう」と云ふ意味になります。

故に「歸去來」は「(故郷に)歸つて行かう」になります。

タイムラインでは自宅に歸りたい時に使へます。

云爾 ――以上!

「~といふことです」「私の言ひたいことは以上です」など、自分の發言が全て終はつたことを知らせたい時に使ひませう。

たとへばこんな時、『論語・述而』より。

葉公問孔子於子路,子路不對。

子曰:“女奚不曰,其為人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。”


葉縣の長官は子路に孔子のことを問うたが、子路は答へなかつた。

孔子は言つた「君はなぜこのやうに答へなかつた、『彼(孔子)の人柄は、怒れば食を忘れ、樂しめば憂ひを忘れ、老化が來ようとするの忘れるほどである、といふことです』と」

『論語・述而』

文法的な解説

「云爾」は、言ひ切りの語氣を表す言葉です。

これをLINE上で氣輕に使へる日本語にするならば、「以上」が最も適切でせう。

まとめ

40種類のスタンプ全てを紹介しました。

地味に飜譯する作業がキツかつたです。下手したらイラスト描く以上に疲れたかも。

 

さて漢文といふものは、つい最近(數百年前)まではみんな普通に使つてゐた文章。

漢字の民として、大切にしていきたいですね。

 

 

といふわけで、